“背広(せびろ)”と聞いてどのようなイメージが湧きますか?
「懐かしい」「久々に聞いた」という声もあると思いますが、若い世代は初めて聞く言葉かもしれません。創業1888年、背広からスーツの時代への変貌を経験した当店の見解をお伝えします。
背広とスーツの違い
まれに「背広とスーツは違うものですか?」と聞かれますが、日本において背広とスーツは全く同じ衣服であり、呼び名が異なるだけです。厳密には背広はテーラードカラー(折り衿)の上着だけを指しましたが、同じ生地で仕立てられた上下または三揃いの衣服を総じて背広と呼びはじめ、時代の流れと共にスーツと呼び名が変化しました。
背広の由来
明治維新の時代、日本に様式の文化が取り入れられた頃に、様々な洋装と一緒に背広(せびろ)も輸入され、日本でも仕立てられるようになります。
当時はまだ和服が主流であり、和服にトンビマント、ブーツ、ハット、ステッキ、という和洋折衷のスタイルが流行りました。生活スタイルが洋式へと変化していくと同時に、和服よりも実用性が高かった背広を着る人が増えました。
なぜ背広(せびろ)と呼ばれたのかは諸説あります。
英国の仕立て屋街であるサビルロウが訛って言い伝えられセビロになったという説は大変有名です。
インターネットはもちろん、雑誌もなく写真さえも貴重な情報源だった当時、一からの洋服文化が作られました。SNSで簡単にコーディネートを見ることが出来る現在では考えられません。
1888年に日本の洋服の始まりと共に創業した当店も、岐阜県から情報が豊富な名古屋へ行き、材料を仕入れ、仕立て技術やコーディネート、基礎を学んだと伝えられています。
そんな当時を想像すると私たちもサビルロウ説が有力だと思いますし、風情を感じます。
当店の古い注文書には“セビロ”という文字がたくさん使われています。戦前の背広は大変高額であったため、礼服や一張羅としての衣服でもあり“背広”という言葉に特別な響きを感じます。
スーツの由来
1960年代頃からスーツ(suits)と呼ばれはじめました。
上下同じ生地なので”suit=揃い”という英語が由来となっており、万国共通の呼び名です。
スーツは高度成長期にサラリーマンの代名詞と呼ばれるほどの洋服になりました。ビジネスも国内から海外へ展開する企業が増え、スーツという言葉が広まりました。
ファッション業界のインポートブームもありました。様々な洋服のアイテムを英語表記で呼ぶことが増えました。その中のひとつとして、響きが少し古くなった“背広”から新鮮でオシャレなイメージの“スーツ”として販売し定着していきました。
今ではカジュアル仕立てのスーツを“セットアップ”と呼んだりもしますが、日本人には馴染み深い“スーツ”に取って代わる言葉は今後も無いと思います。
その他のテーラー用語
背広以外にも様々な和製の用語があります。
スーツの下をパンツやスラックスと呼ぶことが多いですが、以前はズボンと呼ばれていました。由来はフランス語のjupon(ジュポン)から、など諸説ありますが、おそらく「ズボン」と履く擬音からが有力です。元々和服は足を通して下から履くものが少なく、洋服の特徴な着方だったからでしょう。
ベストのことはチョッキと呼びます。由来はシャツの上に直接着る「直着」と言われています。3ピースも三揃いと呼ばれます。
今でも職人さんたちとの会話の中では和製用語を使う事が多いかもしれません。
パーツも言語が混ざっています。
ラペル=衿、カフ=切羽(せっぱ)、
これは接客時によく使用する和製用語の方がメジャーかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。スーツ、セットアップ、など呼び名は時代や流行りによって変わります。スーツは舶来品ですが、日本のスーツの品質は独自の進化を遂げ、今や世界に匹敵する衣服になっています。いまこそ“背広(せびろ)”と呼ぶのが新鮮ですし、本場欧米からみてもクールかもしれませんね。